都会と田舎の二拠点生活
そんな言葉を聞くことがあります。生活とまではならないですが、僕たちの拠点は、
名古屋市(愛知県)
四日市市(三重県)
の二拠点となります。特に四日市市の場は自宅の中にあり、腰を据えて行うデザイン制作が、地方都市となる四日市市でも行えています。Wi-fi環境を整えたおかげで、非常に快適に仕事が行えています。
時間の使い方が効率よくなる
都会で仕事を頑張って、田舎ではプライベートを豊かに過ごす
そんなイメージを持たれている方が多いのかな、と思いますが僕たちの場合、実際はそんなことはありません。名古屋でも四日市でもやることに大差はありません。オンラインでの打ち合わせなどが一般的になりつつあり、オンラインを希望されるクライアントも多くいるため、対面でなくてもできることが増えてきています。移動の時間を効率よく別ごとに使えるようになったことも、大きな利点になっています。
交通の便が意外にも良い
ただ生活の基盤は四日市でも何ら問題はありません。名古屋に15年間過ごしていましたが、感覚的に四日市でもそれほど不便を感じていないです。実は四日市って、
名古屋市まで約25分(高速道路利用)
大津市まで約30分(高速道路利用)
京都市まで約35分(高速道路利用)
奈良市まで約50分(高速道路と一般道利用)
大阪市まで約50分(高速道路利用)
と意外と交通の便は良いのです。
電車を使っても名古屋市まで約35分、大阪市まで約80分と、それほど時間はかかりません。(車移動の方が時間が短いんです)
無料で聞ける音楽と大合唱
自宅は四日市の外れにあり、周りには豊かな自然が溢れています。自生している草花も多く、野花の香りを楽しんだり、水が張ってある田んぼの光景を楽しむこともできます。そして、
すずめのピーチクチュンチュン
カエルのゲロゲーロ
うぐいすのホーホケキョ
牛のモーモーモー
キジのケーン、チョチョ
キツネのコンコンコーン
なんて小動物などの声を聞くこともしばしばです。啄木鳥がコンコンココーンと木を突いている音を聞くこともあります。時にはいくつもの鳴き声が合わさって、彼らの大合唱を聞ける時があります。聞いていると心が豊かになっていくのをありありと感じます。
そうそう、名古屋では目覚まし時計をかけていたのですが、四日市の自宅では必要ありません。日の出の時間になると、季節に関係なく窓をすずめがコンコン叩くのです。起きて窓を開けるまで叩いています。最初はうるさいと思っていたその音も、今では聞かないと何かあったのかな、と不安を覚えるようになっています。
イマジネーションが豊かになる
夕立の後、小川にかかる虹を見たり、クモの巣に雨水がピカピカ光っている光景を見ると、映画やドラマの1シーンの中に迷い込んだような錯覚を覚えることもあります。稲穂が風に揺れている様は、ジブリ映画の世界を思いっきり感じることができます。そしてそんな光景を見るたびに、トトロって本当はいるんじゃないかと本気で思うことがあります。
感性が磨きやすくなる
個人差はありますが、田舎で感じるゆったりとした時間の流れは、感性を磨くにはもってこいの環境です。頭の中にあるアイデアの整理整頓だったり、考えを整えたりと、時間を効率的に友好的に使えるようになります。
利便性の面を見ると確かに都会の方が便利です。不便なことは田舎の方が多いです。ただ、便利だから良いとは言い切れません。不便だからこそ、アイデアを出せるようになります。便利な中に居続けると、出せたとしても他人と同じようなアイデアになることの方が多くあります。反面、不便から出たアイデアというのは思っている以上に、オリジナリティに富むことが多くあります。
今ある便利な多くのことは「不便」を解消することから生まれています。便利さが充満してくると「考える」ことが少なくなると感じています。
まとめ
先にも書きましたが、便利さは都会にあります。時間を待つ、といったこともそれほど多くなく、ほぼなんでも揃う商業施設までの距離(感)も近いです。ただ、都会に住んでいる人の中では、人との「繋がり」を求める傾向が強いと感じることがあります。田舎に暮らすと実は、人との繋がり、いわゆる付き合いが自然と増えていきます。田舎は都会と比べるとコミュニティが狭いため、自然と人との繋がりや付き合いが多くなっていきます。
田舎独自の「困っている時にはお互いに助け合おう」という感覚は多くの都会にはないスタイルとなり、魅力的に感じる人は多くいます。
ご自身の生活や働き方のスタイルが都会と田舎、どちらにあっているか少しでも今回の記事が参考になれば嬉しいです。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。